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絲絲夭棘出莓牆

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たしは歳月のも

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たしは歳月のも

 人の坐っていないその椅子に、もう一度懐中電灯の光を当てないうちに、わたしはその場を立ち去るべきだったのだ。ところが、実情がわかってみると、音や声をたてずに立ち去るわけにはいかなかった。それどころか、あやうく叫び声をあげそうになるところを、やっと声を押し殺したのだが、それでもその声はあたりを騒がせたにちがいない。もっとも、声を押し殺したその叫び声のために、ホールの向うで眠っているノイズという見張り人が目を覚ました気配はなかったが。その押し殺した叫び声とノイズのさっきから続いているいびきとが、怪物の出没する山中の鬱蒼たる森の崖下《がけした》にある病的に息づまりそうな屋敷の中懷孕前準備で――それこそ、幽霊のでる田舎の、人里離れた緑の丘と呪《のろ》いの呟く谷川とのまっただなかの超宇宙的怪事の焦点の中で、わたしの耳にした最後の音声であった。
 思えば、わたしが手にした懐中電灯、鞄、それにピストルを、あの大あわてのときによくも落とさなかったものだと不思議な気がするが、ともかくそれらのどれひとつをもなくさずにすんだのだ。じじつ、あの部屋およびあの屋敷から、物音ひとつたてずになんとか脱けだすと、所持品とわが身とを、車庫にある古いフォードのなかに無事に収め、月のない闇夜に未知の安全地点に向かって、わたしは古風な車を発進させたのだ。それ以後のドライブは、ポオかランボオの幻想的な作品の一節か、ドレ(一八三二―八三フランスの画家)のデッサンでも見るような思いがしたが、結局わたしがまだちゃんと正気でいるとすれば運がよい。わたしは歳月のもたらすものを恐れることがある、とりわけ、新惑星の冥王星がまことに不思議にも発見されて以来は。
 いまも述べたとおり、わたしは懐中電灯を部屋中ぐるりと回したのち、空《から》になっている例の安楽椅子に向けてみた。そのとき初めて癬 藥膏、座席の中に何かがあるということに気がついたが、それはとなりに脱いである部屋着がふっくらとたたまれていたために、いままで目だたなかったのだ。椅子の中にある物体は、数でいえば三つあったが、調査官がやってきたときには、もうどこにも見当たらなかったそうである。この話の最初におことわりしたとおり、その三つの物体には、目で見て実際に怪しいと思われるところはどこにもなかった。
 その三つの物体というのは、このたぐいのものとしてはいやらしいほど巧みに考案されたものであって、巧妙な金属製の締め金でたがいに有機的な連繋《れんけい》が保たれる仕掛になっていたが、その仕掛の構造をあえてあれこれと推測するだけの気がわたしにはない。わたしはこう思う――いや、ぜひこうあってほしいと思うのだが――その仕掛は名人の手になる蝋細工《ろうざいく》の製品なのだ、と。もっとも、わたしの心の奥深くに潜む恐怖の念は、蝋細工ではない、といってきかないのだが。やれやれ! 病的な匂いを発散しながら、かつ奇妙な震動をつづけながら、闇の中で囁いていたあの怪物め! 魔法使經絡養生い、密使、神隠しの取り換えっ子(さらった子の代わりに妖精たちが残して行く醜い子)、局外者……あの忌まわしい押えつけたようながやがやという声……そしてつねに棚の上の新しいぴかぴかの円筒《シリンダー》の中に収まっていた……あの哀れな悪魔め……「驚嘆すべき外科医学的、生物学的、化学的、および機械学的な技術……」
 ほかでもない、その安楽椅子の中の、顕微鏡的な類似――ないし一致――に関して最後のいうにいえない微妙な細部にいたるまで完璧だったその三つのものとは、ヘンリー・ウェントワース・エイクリーの顔と二本の手であったからだ。
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